出来れば機嫌よく、あまりナチュラルではないにせよ笑顔でいたいなぁとかんがえるタイプで、考えるだけではイカンと実践をしているつもりでいる。出来ているかどうかは自己評価はしづらいので身近な人たちにおまかせするとして、コレは果たしてなかなか努力が必要なことだよ、と思っている。ハードルを上げたいわけじゃなく、自身に対する認識として。
例えば、イライラしている人を見る。これはまあ一番楽に対応するならスルーである。触らぬ神に祟りなし。しかし常にそう言っているわけにもいかない。話を聞いてその怒りのようなものを収めてもらう時もある。基本は、そんなことを考えるよりももっと自分のために良い時間を増やそうよ、という考え方なので、不機嫌でいるよりはゴキゲンでいるほうが自分のためにも周りのためにも良いのではないかという仮説に基づいて何らかを話すことになる。そうさせる原因がなにか存在していてそれを取り除けそうなら取り除けばいいし、ただ愚痴をこぼすことで解消になるのであればそれもまた良しだ。
相手のことを思いやってなにか言うか言わないかも含めて、自分の行動は自分の自由な意志だと思いますので、どっちであっても良いんじゃないかなと思う。
例えば、自分がイライラしてしまうとする。これは厄介だ。わたしはとても怒りっぽいし、そういう感情をコントロール出来ない傾向がある。一応自覚は、ある。アンガーマネジメントを薦められたことがあるくらいだ。やったことないですけれども。
そういう人間にとってはゴキゲンでいるというのはなかなかどうして難しいことだ。結果的に良いか悪いかは別として感情の赴くままに動くほうがラクそうである。でも実際はそんなワガママを許してもらえる環境なんて稀である。もしそういう環境にあるのだとしたら、それはわたしの力がどうのこうのではなく、おそらく周囲の許容や諦めや無関心やそういうものの詰め合わせで構築された世界であることは間違いないと考えている。けっしてわたしが圧倒的に受け入れられている結果なんかではない。
そういう前提をなるべく頭がクリアな時に再認識しながら、イラッとした時にじゃあどうすればいいかを自分なりにコツコツ、成功と失敗と恥を重ねながら実践している。日々研究だ。
いろいろやってみた中間結果として、一番効率的で効果的なものはやはり笑うことである。相手との距離感をほどよくキープすることにも効果があるようだし、なにより笑いながら怒るってなかなか難しい。たまに笑顔でキツイこという人いますけど、そんなことして様になるのはジョージ・クルーニーくらいだ。
不快なものを見て・聞いて、あるいは思い通りにならない状況に直面してストレスを感じ、それがイライラとなって外に放出されそうになった時、「ちょっと待て」と釘を刺すもうひとりの自分というのをどうにかして作り上げて、イライラ=ちょっと待て、のアクションが一対になるように気をつける。カッとなることを止めるなんてそんな簡単にできることではない。それが出来ていたらこんなことは考えない。だから、ちょっと待て、と自分に対する抑止力を同時に発動して最後に笑顔を添えたりなんかできたらいい塩梅なのではないだろうか。映画『フロム・ダスク・ティル・ドーン』でセス・ゲッコーがキャンピングカーのトイレの中でキレて食って掛かってきた弟リッチー・ゲッコーに対して見せた感情の一連の流れがこれであった。イライラ=ちょっと待て=笑顔を添える。映画ではその後セス・ゲッコーの裏拳がリッチー扮するクエンティン・タランティーノに炸裂する。そんなことして様になるのはジョージ・クルーニーくらいだ。
ふと、TwitterでこのようなPostを拝見し、とてもスッキリしたので引用したいと思います。
”非暴力とは外面の肉体的暴力を避けるという事だけでなく、内面の暴力的考え方も回避するという事だ。人に向けて発砲する事を回避すると同時に、人に対しての憎しみも回避するという事が非暴力なのだ” マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師 https://t.co/kSXFTP9jWr
— Lerato An$ (@LeratoAnzjp) 2015, 6月 22
"Nonviolence means avoiding not only external physical violence but also internal violence of spirit. You not only refuse to shoot a man, but you refuse to hate him."
Martin Luther King, Jr.
わたしはマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師に関しては有名な演説がある程度の知識しか持ち合わせていないので、非暴力というのは振るわない振るわせないくらいの浅い認識しかなかった。
こんな素晴らしい言葉を引き合いに出すのはおこがましく感じてしまうが、ゴキゲンでいるというのはこういうことなんじゃないだろうか、と思った。
不機嫌な状況に直面することを避ける事はなかなか難しいし、気分を害するなにかがふりかかってくることもコントロール出来るものでもないだろう。なんとか自分でできることは、なるべく自分の身体をゴキゲンな状態にキープして、いざという時の状態の準備をしておくことだ。
スタンスとして笑顔でいる、よく笑うというのを自分の構えのようにもし出来れば、ある程度の出来事にゴキゲンな感情で気を合わせるということが出来るのではないか。
とてもヘンテコな人で大好きな甲野善紀氏が自身のドキュメンタリー映画『甲野善紀身体操作術』の中で言っていた言葉がとても印象に残っている。
身体のほうがそうなればそれこそ感情的に不愉快になろうと思ってもなれない。
ゴキゲンでいるというのもなかなか努力が必要だ。でも、それにはやる価値があると思っている。