そのドアを開けたらゾンビがいる

わかっているんだけどねぇ〜☆

続 マイケル・ジャクソン

マイケル・ジャクソンさんが亡くなってしばらく経ちました。何日経ったのか、数えてもいないので日数はよくわからない。

追悼番組などが放映されていますが、ひとつも見ていません。観ちゃいけない、という訳ではなく、なんか観る気になれない。

曲やPVもまだ聴く気になれずに避けてしまっています。


ボクにとっての「マイケル・ジャクソン」というのは、やはり特別な存在で、「衝撃」というものを一番始めに経験させてくれたのがマイケルなんじゃないかな、と思います。

 

子供の頃、我が家は音楽を聴く家庭ではなく、音楽を再生する装置は、モノラルスピーカーでカセットの再生が終わっても自分で停止ボタンを押さないと停止しないようなオンボロなラジカセしかありませんでした。レコードプレーヤーは家には無かった。ボクはそれを自分専用にして、AMラジオを聴いたり、カセットテープを聴いたりしていました。

 

まわりに音楽に詳しい人がいなかったので、自分でレコード屋さんに行ったりテレビ番組をチェックしたり、少なく狭い情報網で必死にいろんな音楽を聴こうとしていました。

ある日、小学校のクラスメートでお姉ちゃんがいる友達が『マドンナ』というカセットテープを学校に持って来て給食の時間にかけました。ボクは即効でレコード屋に『マドンナ』というカセットテープを買いに行きました。アルバム『Live A Virgin』です。それ以来、その意味すら分からずに「らぃかーばーじー へーい!」と連呼するような子供でした。

つたない情報網ですから、今となっては大きな情報でも当時の小学生だったボクのアンテナには引っかかることがありませんでした。そのひとつがアルバム『スリラー』とそのPVについてです。ボクはその事をまったく知らずに「CD」という媒体の登場に迎え入れられます。

 

音楽に対してそれほど興味がなくても「CD」という媒体はやはりスゴく注目を集めたので、我が家にも「CDラジカセ」がやってきました。ボクが始めて買ったCDは久保田利伸の『Shake It Paradise』でした。ようやく「ブラック・コンテンポラリー」というジャンルがボクの情報網にかすり始めました。

 

そんなCDという未来みたいなものが登場しだした時にアルバム『Bad』がリリースされました。ボクがそれをどのようにして知ったのかはもはや覚えていないのですが、まずビックリしたのはピクチャーレーベルという仕様でした。

 

基本味気ない文字だけが載っていた当時のCDレーベルに、マイケルの姿がドーンと載っていて、それが見えるように、これまた当時は珍しいクリアケースにおさまっていました。

ボクにはそれが宝石のように見えた。

 

それからというもの、本当に毎日、『Bad』を聴き続けました。その頃にはCDラジカセも自分のものにしていたボクは朝の目覚ましを『Bad』にして、毎朝「ジャン!ジャン!ジャン!ジャン!」という音で起きていました。

PVにも驚かされました。それに映画『Moon Waker』。もうこの映画を何度見た事か。ボクの中では「Man In The Mirror」はこの映画のオープニングで流れるバージョンで流れます。ライブでの様々なカットや歌声や独特なつなぎの「ヒィッ」「ダッ」という声。完全にインプットされている。

 

そして過去の音源をあさり、過去のPVをあさり、どの時代のマイケルも全てが美しかった。Jackie Wilsonに影響をうけたと知ったら、Jackie Wilsonのアナログを中古屋に何度も通って1年がかりで見つけたりしました。

ビデオに録画したマイケルのPVをなんどもスロー再生して、「Thriller」や「Beat It」の振り付け、ムーンウォークをなんどもなんども見て練習したりもしました。

 

部屋に貼ってあったマイケルのポスターを、反抗期の頃、母親と喧嘩して破られてしまって激怒したこともありました。今考えると、非常に恥ずかしいけど、もう一度同じシーンに戻ったとしてもきっと同じことをしそうです。

 

仲の良かった友達にはうざいほどにマイケルのカッコ良さを伝えたし、おもしろおかしくネタにして喋る事もよくありました。こんなエントリーも書く前からいろんなバージョンをすでに喋っていました。

 

パーティーを、DJをやっていたときもマイケルをかけたりしました。エレクトロニカ(SilicomとかMonolakeとか)のトラックの上に「Smooth Criminal」のアカペラをのせたりしていました。フロアでマイケルのマネとかもたぶんよくやってた。

 

通勤中とかに「Smooth Criminal」を聴いてると、階段を降りるリズムとかが曲にあったり、まわりの人に気づかれない程度の、カバンを背負い直す動作やちらっと中吊り広告を見る時の首を動かすタイミングとかも音に支配されるおろそりく中二的なことを、きっと今でも、聴いたらやります。

 

ボクの誕生日にマイケル・グッズをくれる人もいました。すごく嬉しかった。なんというか、マイケルを好きだという事を覚えてくれる事が嬉しかった。

 

今回の訃報を聞いて、連絡をくれた友達もいました。複雑ではあるけれど、それも嬉しかった。

 


 

これが、前回すこしだけ触れた収拾がつかなかった文章です。

少し経って読み返しても、収集のつけようがないです。それはもともとの文章力の低さもさることながら、まだ何を言いたいのかよくわからない。スゴく好きだったという事がうまく言えない。

 

ただ、このblogは、まあ収拾がつかなくても良いじゃないか、感じてる事を吐き出すだけであっても、それはそれでそれっぽいな、と思ったので出すことにしました。

 

携帯百景(ケイタイヒャッケイ)