そのドアを開けたらゾンビがいる

わかっているんだけどねぇ〜☆

日傘

日焼けしたくないとかいうレベルではなく刺すような強さの日差しとのぼせるを越えてくる暑さにかなり身の危険を感じていた。そのキツさに辟易して、たまたま立ち寄った傘屋で『銀行員の日傘』という折りたたみの日傘を手に入れた。今までも日傘は気にはなっていたし、導入したいとは思っていたものの、どうもルックスにピンとくるものがなくスルーしていたので、念願の日傘を手に入れた。

どうせ日傘を使うならザ・機能性といった感じのものが良かったのだが、これは大正解だった。

「銀行員の」という商品名が付いているが、イメージとしては炎天下でお店の行列とかに並ばなければいけない時に気の利いたお店だと貸してくれるようなあの無骨なやつ。外がシルバーで中が黒。そう、こういうのだよ。

しっかり雨が降っているのに傘を差さずにずぶ濡れになることにはもちろん抵抗があるが、ここ数年の夏の日差しの下で日傘を差さずに出歩くというのは、雨の中ずぶ濡れで歩くのと同じくらいかそれ以上にありえない事だというのを、日傘を実際に使ってみて痛いほどわかった。痛感ってやつ。今までサングラスと帽子などでどうにかしようとしていた事を謝りたい。

具体的な機能紹介などは商品のページを見ていただきたいが、謳われている99%のUVカットというのもそうとうスゴいらしいですが、差してみた実感としても差さないのに比べて日傘が確実に涼しく(温度が7℃近く下がっているというのをテレビでやってたらしい)、遮光性だけでなく遮熱性というのの重要性を知った。

今後はこの日傘無しでは出歩きません。安心感がスゴい。

 

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やってみたら気づいたこと

去年の夏の初めから「料理」をはじめた。この一年で作った料理の種類はそれほど多くはないけれど一年前と比べたら「料理する為の脳」はかなり鍛えられたと思う。

それこそはじめは、全てが完璧に用意されていてその全てを完璧に組み立てられないとテンパっていた。言うなればプラモデルを説明書を読みながら作っているようなもので、ひとつでも部品が足りないと「捨てだ!捨て!(ハライチ岩井)」と心半ば折れていた。目分量とか冷蔵庫にあるものでとかアレンジ料理なんてのはもってのほかで、完成に至るまでに不確定要素が出れば出るほどテンパっていく。はじめて車の運転をした時のことを想像してもらえれば少しは伝わるだろうか。

そう考えると車の運転と料理は似ている。偉そうに言うけれど私はゴールデンペーパードライバーです。一応路上にも出た経験だけはあるけれどその情報量の多さにイラッとしたのもあって機会を逃したまま一切運転を諦めました。その時に感じたのも「不確定要素の多さ」で、同じ道路でも自分以外の要素による変化が多すぎる。慣れれば肩の力が抜けていくのだろうが、それこそ仮免の路上研修なんかでは(状況によって変わるから仕方ないと今では理解していますが)教官によって言うことが変わったのでケンカしちゃったりした。

それと同じようなことを料理の初期に感じて、特に料理を出来る人に手伝ってもらったりすると、免許取り立ての人が助手席の人とケンカしちゃうような事例と似たようなことが起きていた。

それくらい経験値が足りなかったけど、今回はちょうどカレー作りにハマりだして楽しくなって「もうヤメだ!ヤメ!」にならずに続いた。

はじめに野菜を切ってオーブンで焼くだけ(ぎゅうぎゅう焼き)とか、野菜を切って盛り付けるだけ(チョップドサラダ)なんかをひたすら作り続けた時の、色々な野菜を切るとか、切った野菜の火の通り方の違いとかが、次のステップであるカレー作りの時に突然「あぁ!そういう理由があったのか!?」気づきに繋がってから楽しさは加速した。もちろんこんなことは料理する人や勘のいい人なら「今更!?」ってことなんだと思うけれど、私は相当鈍いので体感出来るまでに時間がかかる。

なので、レシピにない材料を使ったり代用したり、はたまた開封した材料を使い切ることを考えたりするのにも相当時間がかかっている。各材料を使い切れる最大公約数で作るとか、余るもので付け合わせを作るとか、そんなの達人の技だと思ってだけれど、最近少しずつではあるがそういうことも出来るようになってきたと思う。共同作業をするにあたっての余裕みたいなものも以前に比べればだいぶんマシになってきた(と思いたい)。

食べたいと思うもの、作りたいと思うものを黙々と作ってきただけなので効率的かどうかはわからないけれど、やってきた分だけの手応えはあるし、レシピがちがちに縛られずに一品作れた時の感動はたまらない。

そして不確定要素を状況に応じてどうやったら想定しているゴールに近づけられるかという無理ゲーのような料理から学ぶことはまたまだありそうだし、外で食べる料理や人に作ってもらう料理や料理できる人に対するリスペクトは増すばかりだ。

2年目の目標は、味の安定、ある材料での2品(一汁一菜)あたりです。

 

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ゴッドファーザーとクライベイビー

かつて赤ちゃんとの接し方がわからなかった。

兄弟に子どもが生まれた時も、なんとも恐ろしくて抱っこすら拒んだ。相手に問題があるわけではない。他人事というのもあるんだけど、こんな小さな生物をどのように扱えばいいんだろう?という未知への恐怖みたいなものがイレイザーヘッドさながらに自分の醜いエゴから目を背けさせた。今となればそう思うというだけだが、それにしても我ながら酷いと悔いている。

そのうち同じような感覚を共有していると勝手に思っている近しい友人たちに子どもができ、なによりその友人たちの変化(するしないに関わらず)をわずかにでも目にするようになってはじめて、自分の中の赤ちゃんへの抵抗がスッと消えていった。あるいは単に歳をとったということなのかもしれない。今では、電車で赤ちゃん連れのお母さんを目にすると自己満足のために嬉々として席を譲っている。譲ったあとはどっか違う車両に行ったりしてお互いあまり気づかいせず過ごせたらこちらとしては気が楽だと思うので、移動してしまう。一言二言の会話をするような器量がないのが恥ずかしい。ベビーカーが必要なくらいのお子さん連れの人たちってどの車両に乗るか時点からナーバスになってることを知ったり、電車の中で赤ちゃんが泣いてしまった時のお母さんたちの困りよう、それは周りの人への配慮という意味だ、にそんなに気にしなくてもと声をかけたくなるものの、そんな気のきいたナチュラルさがないので、関係ないところでこちらまで勝手に萎縮してしまったりしている。

私はジェンコ・オリーブオイルのロゴTシャツを買っちゃうくらい映画『ゴッドファーザー』シリーズが好きなのだが、この映画では劇中かなり不穏な状況下でも赤ちゃんの泣き声がバックで敷き詰められていることがある。ドンの元に数々の「お願い」に集まる人々はそんな泣き声を背景に自分の受けた屈辱に対する対応の相談をドンに持ちかける。ようするに法外な仕返しのお願いだ。しかし、私のおぼろげな記憶か思い込みかもしれないが、赤ちゃんが泣いている時には最悪な事態は起こらなかった。誰かが暗殺されたりといったシーンですら非常に日常的な光景の中行われるのだが、大人たちの悲鳴こそ轟けど、そこは赤ちゃんの泣き声がするような環境の日常の中ではなかったように記憶している。赤ちゃんが泣いている時、最悪な事態は起こらない。それはいたってささやかな平和の象徴だし、多くの問題はあれど、とりあえず世の中はなんとかバランスをとってまわっているという証のようなものにすら思えてくる。だから、頼むから泣かせておいておくれ、少なくともそのあいだは最悪なことはおこらないよ。あとは疲れて寝てしまえばいい。それ以上、何を求めるというのだ。

最近、街中や電車の中などで赤ちゃんが泣いている光景に出くわすとだいたいそんなことを考えている。

バスマティを放り込め!

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先日、ようやく初めてサンバレーホテルで晩ごはんを食べてきた。

その日は4種類のおかずがあったのですべて頼んだ。初訪問にドギマギしている我々をお店の方はとてもソフトにエスコートしてくれ、肩の力はすっと抜けた。マトン・ヴェプドゥとチキンカリーにはロティが、アビエルとチャパラ・プルス(フィッシュカレー)にはバスマティライスがおすすめとの事でありがたくそれらもいただく。サイズ感もさらっとフォローしてもらえて助かる。

周りを見渡しても、騒がしくなく息苦しくもなく各席なんとも落ち着いたお客さんたちで埋め尽くされていて、その一員になれることへの嬉しさみたいなものすら感じてた。みんなカレーを心待ちにしているのだ。

しばらく待つと注文した料理たちが、おそらく記帳順(入店時の案内もそうであったと思う)に配膳されてくる。マトン、アビエル、チキン、フィッシュ、それぞれをまず一口ずつ体験しながらすでにもうどれもめくるめく美味しくて自分のテンションがどうにかしてしまいそうだった。言うなればソロを弾いているときのコーリー・ヘンリーのような表情でカレーを食べているようなテンションだ。


Snarky Puppy - Lingus (We Like It Here)

一通りソロでの感触をたしかめたのち、テーブルにはグルーヴが生まれ出す。こちらの皿からカレーを一口、そしてバスマティライスを放り込みさらに追いカレーを一口流し込むか別の皿にコードチェンジしていくか瞬時の判断が求められる。ライスに対してややカレーが優位になるとどうしても均衡を取りたくなり、はやる気持ちがワンモア、バスマティを我が口に放り込む。美味しいバスマティライスにはこの「放り込む」という表現がピカイチだ。『北国の帝王』よろしく蒸気機関車のスピードを上げるために火室に石炭をスコップで給炭する時のあの時の放り込み感、それこそがカレーが待つ口へバスマティライスを給米する感覚にピッタリだ。さらに熱は加速度を増すのだ。ブレイクは意図的に作ってやらないとこの楽しみが終わってしまう!という焦りにも繋がる。もうずっと食べ続けていたい、ただご飯を食べているだけなのに!各テーブルも食事を終える頃になると、お皿を下げがてらにお店の方としばしの歓談で暖かいムードが伝わってくる。それぞれがそれぞれの距離感でコミュニケーションを取っているようで非常に(その会話に参加するわけでも真剣に聞く訳でもないのに)心地よいものがあった。私はわちゃわちゃと書いてきたこのような事を伝えるわけでも伝えられるわけでもなく(こういう即興の場で音を出す事というか第一声をつかむ事が極端に苦手なため、大縄跳びに最後まで入れない子のように押し黙る事が多い)帰り際にかろうじてとっても美味しかった旨を伝えたが、本当は厨房にいたもう一人の方も含め小一時間くらいこういった事を伝えたいとすら思っていた。心境的にそれくらい美味しかった。

どのメニューも最高に美味しかったが、今日はその中のチャパラ・プルスことフィッシュカレーの事をぼんやりと考えていたので近い味をつい求め、夕食にトマトベースの野菜カレーに梅干しの酸味を効かせたものを作った。レシピはいつも渡辺玲さんの本*1を参考にしている。この本ははじめて目を通した時その初心者というか料理が苦手な人間にもわかりやすい心遣いに感動して以来、バイブルと化している。レシピにない梅干しを追加することを後から思いついてしまい、全体の塩っけが結果的にトゥーマッチになったという反省点が成果として残ったものの、それでもあっさりとした出来は個人的に悪くはなかったのだが、食べ終わり時間が経ってからあのサンバレーホテルで狂ったようにスプーンをフィッシュカレーとバスマティで行ったり来たりさせていた時に燃え盛る私のテンションを鎮火するためにアビエル(Avial)を一口持って来てあげることで一気に正気を取り戻しそのまろやかさに包まれる(ファ〜という天使の音すら聞こえた)、というループを楽しんでいたことを思い出し、今猛烈にココナッツかヨーグルトの効いた味が食べたい。というか、こういう場合は付け合せにそういった味付けのものを用意しておくべきだったんだという学びを得たので、今度はナイル善己さんの本*2にヒントを求め読んでいたら猛烈にお腹が空いて困っています。アビエルかココナッツチャトニーがあればよかったんだな。夜中にレシピ本なんて読むもんじゃないよね。

*1:

スパイスの黄金比率で作る はじめての本格カレー

スパイスの黄金比率で作る はじめての本格カレー

 

*2:

「ナイルレストラン」ナイル善己の やさしいインド料理

「ナイルレストラン」ナイル善己の やさしいインド料理

 

70年代

 

70年代に対してずっと憧れがある。「あった」と書こうとしたが、考えてみると未だある。70年代のアメリカとイギリスの音楽と映画の文化だ。

実は調べてみるとそれは60年代だよ、ということも往々にしてあって、私が好きなのは主にヒッピームーブメントだということはわかっている。反抗の歴史だ。

そもそもはメタルを好きになった時に勉強として過去の音源を漁る通過儀礼で出会った。

自分の好きなバンドが好きなバンドが好きなバンド、みたいな巡り方しか知らなかったので必然的に1920年くらいまで行ってしまうコースでそこにはロバート・ジョンソンが鎮座ましましている。それは今回の思いつきと逸れるので触れないが、とても味わいがあります。

今、私はザ・ドアーズの「Live at the Bowl」1968年のザ・ドアーズのライブ映像をユーチューブで観ながらこれを書いている。


The Doors - Live at Bowl 68 (Full HQ Video + All Extras)

はじめてこのライブ映像を観たのは海賊版VHSだったと思うが、こじらせた大学生だった私はたいして友達もおらず、作りたい欲もそれほどなく、耳には常にイヤホンをして、好きなミュージシャンのインタビューかなにかを読みながら音楽を聴いていた。そこまでの音楽遍歴もめちゃくちゃで雑食だが、その時代は「70年代」にひたすら憧れていた。もはやジャンルは問わなくて70年代ならなんでも良かったので、ロック、ソウル、ジャズと「70年代」的なものを貪っていた。STAXやAtlantic Recordsに出会ったのもその頃だし、手探りながらジャズを聴き出したのもこの頃だ。全てが刺激的で、古いものが新しかった。映画館では「パルプ・フィクション」がかかっていて、我々を圧倒的にノックアウトしていたにもかかわらず、格好つけて俺はタクシー・ドライバーが好きだと嘯いていた。確かに好きなんだけど、本当に好きなのか好きだということがカッコよかったのかもはやわからないこの感じわかりますか?

そういう時期に一番好きだったのがザ・ドアーズだった。そこには全てがあった。カリスマであるジム・モリソンはこじらせた若者が心酔すべきカッコよさと恥ずかしさの全てを兼ね備えていたし、それとは対照的なバンドメンバーたちの堅実で職人的で実直(に思える)な存在感は聞こえてくる音楽に厚みを増してくれた。当然、バンドやボーカルであるジムの伝記を読んだりして妄想の強度を増した。

軍人である厳格な父に対する反抗的な態度、内向的な性格からのアイコン的扱いに対する戸惑いとよりそうドラッグ問題、語り継がれるロックな伝説、そういったものにスポンジのように憧れた。当時、ドラッグどころかアルコールすら飲めなかったにもかかわらず、ザ・ドアーズを聴いていさえすれば、ジム・モリソンとそういった諸問題を共有できている気持ちになっていた。俺がロックだった。

今では酔っ払うとよくユーチューブで思いついたフレーズを検索する。歳をとってよかったと思うことのひとつにアーカイブが多層になることがあって、その時に思い出す時代のバリエーションが増えてくるのだが、そういった斜に構えた音楽の聴き方をしたおかげで、リアルタイムだけじゃないノスタルジーがあって、私の20歳前後にはぴったりと70年代が寄り添っている。

本当はジム・モリソンがいかにカッコいいか、あるいは70年代の文化がいかにイカしていたかを書こうとしていたのだが、そういうのは専門書やその時代の音楽映画、あるいは振り返ったドキュメンタリーを観る方がいい。でも、ただしいとはかぎらない手垢のついた都市伝説みたいな話をしたくなる時もあって、そういうことは話こそすれど書くことはなかったんだけれど、友だちの文章*1がとても好きでその達人のような体捌きに感化されて書いたので、どうしようもなく恥ずかしくなったら消すかもしれないよ。

 

お土産にコーヒー豆を持って行こうという時に

気の置けない友人宅に遊びに行った。

甘いものを持って行くのでコーヒーあるといいからコーヒー豆も持って行こう、せっかくならこの夏ハマっていたシェケラートを振る舞おうと思い立ち、直火式エスプレッソメーカーであるブリッカとシェイカー、そしてコーヒーミルも持参して台所をお借りし、シェケラートとアメリカーノを淹れて出した。シェケラートは甘いものとセットだったので砂糖は抜きにしたことで酸味が目立ちすぎてないか不安だったが喜んでいただけたようで胸をなでおろした。そして非常にリラックスした素敵な週末を過ごした。

さて、道具持参で人の家に行ってコーヒーを淹れるというのは、振り返って最低必要な道具一式を考えたり、はたまた家でコーヒーを淹れることへの入り口に再び思いを馳せることとなってよいものだ。

今回はシェケラートというお題を自分で決めてしまったので、必然的に道具は決まっていったのだが、改めてエスプレッソメーカーの手軽さに感動した。今回はそういうお話です。

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人間は料理する

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料理は積年の天敵だった。苦手意識のかたまりで可能な限り避けていた。「少々」ってなんだよ、俺とお前の「少々」にいつコンセンサスが取れたんだよ?ひとつまみ?手の大きさが違うだろうが、と心の中でイチャモンをつけるものだから、理系の料理本なんかには一定の興味はしめしたものの、それでもしっくりくることはなかった。

かつて料理に憧れたことはあった。本を読み、手際よく料理する様がなんともクールだったからだ。そして一番クールだと思ったペペロンチーノを見よう見まねで作りはじめた。ネットで情報収集をする以前のお話なので、おそらく本などで知識を得、あとはひたすら世界に浸った。毎晩のように深夜につくられるペペロンチーノは味の安定をみることもなく、大方のブームがそうなるようにいつのまにかやらなくなった。当時買ったなかなか良いパスタ鍋がどこにいったかすらもうわからない。料理に興味があったというよりは、本で読んだその光景に憧れた、というのがこの時は正しい。


一時期、料理と歩み寄ろうとしたこともあった。まずは身近で簡単なことからの方が身につくはずだと朝食用の卵料理に手を出した。そんなに昔のことではない。せいぜい4~5年前のことだ。ネットでレシピを調べながら例のふわとろみたいなオムレツを作ろうとした。その為にしっかりしたベーコンを買った。そのわりに付け合わせのサラダを作ろうという発想はなくコンビニで買ったもので済ませていた。とにかく一点集中なのだ。数回で飽きた。そもそもが初心者なのにスキルで差が出る料理を選んでいるのだから美味いものができるわけがない、飽きるのも当然だろう。


そうやって振り返ると現在は少し様子が違う。きっかけはたまたま食べたチョップドサラダの美味しさと食のドキュメンタリー映画だ。これによって、加工食品や弁当・ジャンクフードを食べず、野菜を買ってきて食べるということをやりだした。もちろん生で野菜をボリボリかじる訳にもいかないので簡単にでも調理することになる。その目的で一番はじめに選んだのが野菜のぎゅうぎゅう焼きなのも良かった。料理をする人からみたら笑ってしまうだろうが、シンプルで少ない調味料とオーブンで焼くだけという簡単な工程だが数回やるだけでただ野菜を切るにしてもやってみるとオーブンで焼く際に均等な焼き加減になるような切り方とかに気づかされていちいち感動するのだ。何故それをするのか?ということを体験で気づかされたのは大きい。レシピに書いてある些細なことにきちんと意味があることをひとつでも体感できれば、他のことにも意味があるはずだ、という確信に繋がる。お前は何わかりきったことをと思うだろうが、私はそういうことにすら気づいていなかったし、そういうことを知りたかったし、その知見の連なりの先に応用が見えてくるその景色に興奮したのだ。


そうやって野菜のぎゅうぎゅう焼きとチョップドサラダにはじまり今はスパイスカレーに手を染めています。切る・(オーブンで放置して)焼くの次の課程として炒める・煮るという方式を学んでいるわけです。


それがここ2ヶ月のできごとです。

面白かったドキュメンタリーやカレーを作っている時の楽しみなどを今はうまく説明できずにモヤモヤしていたので振り返ってみました。

 

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