そのドアを開けたらゾンビがいる

わかっているんだけどねぇ〜☆

70年代

 

70年代に対してずっと憧れがある。「あった」と書こうとしたが、考えてみると未だある。70年代のアメリカとイギリスの音楽と映画の文化だ。

実は調べてみるとそれは60年代だよ、ということも往々にしてあって、私が好きなのは主にヒッピームーブメントだということはわかっている。反抗の歴史だ。

そもそもはメタルを好きになった時に勉強として過去の音源を漁る通過儀礼で出会った。

自分の好きなバンドが好きなバンドが好きなバンド、みたいな巡り方しか知らなかったので必然的に1920年くらいまで行ってしまうコースでそこにはロバート・ジョンソンが鎮座ましましている。それは今回の思いつきと逸れるので触れないが、とても味わいがあります。

今、私はザ・ドアーズの「Live at the Bowl」1968年のザ・ドアーズのライブ映像をユーチューブで観ながらこれを書いている。


The Doors - Live at Bowl 68 (Full HQ Video + All Extras)

はじめてこのライブ映像を観たのは海賊版VHSだったと思うが、こじらせた大学生だった私はたいして友達もおらず、作りたい欲もそれほどなく、耳には常にイヤホンをして、好きなミュージシャンのインタビューかなにかを読みながら音楽を聴いていた。そこまでの音楽遍歴もめちゃくちゃで雑食だが、その時代は「70年代」にひたすら憧れていた。もはやジャンルは問わなくて70年代ならなんでも良かったので、ロック、ソウル、ジャズと「70年代」的なものを貪っていた。STAXやAtlantic Recordsに出会ったのもその頃だし、手探りながらジャズを聴き出したのもこの頃だ。全てが刺激的で、古いものが新しかった。映画館では「パルプ・フィクション」がかかっていて、我々を圧倒的にノックアウトしていたにもかかわらず、格好つけて俺はタクシー・ドライバーが好きだと嘯いていた。確かに好きなんだけど、本当に好きなのか好きだということがカッコよかったのかもはやわからないこの感じわかりますか?

そういう時期に一番好きだったのがザ・ドアーズだった。そこには全てがあった。カリスマであるジム・モリソンはこじらせた若者が心酔すべきカッコよさと恥ずかしさの全てを兼ね備えていたし、それとは対照的なバンドメンバーたちの堅実で職人的で実直(に思える)な存在感は聞こえてくる音楽に厚みを増してくれた。当然、バンドやボーカルであるジムの伝記を読んだりして妄想の強度を増した。

軍人である厳格な父に対する反抗的な態度、内向的な性格からのアイコン的扱いに対する戸惑いとよりそうドラッグ問題、語り継がれるロックな伝説、そういったものにスポンジのように憧れた。当時、ドラッグどころかアルコールすら飲めなかったにもかかわらず、ザ・ドアーズを聴いていさえすれば、ジム・モリソンとそういった諸問題を共有できている気持ちになっていた。俺がロックだった。

今では酔っ払うとよくユーチューブで思いついたフレーズを検索する。歳をとってよかったと思うことのひとつにアーカイブが多層になることがあって、その時に思い出す時代のバリエーションが増えてくるのだが、そういった斜に構えた音楽の聴き方をしたおかげで、リアルタイムだけじゃないノスタルジーがあって、私の20歳前後にはぴったりと70年代が寄り添っている。

本当はジム・モリソンがいかにカッコいいか、あるいは70年代の文化がいかにイカしていたかを書こうとしていたのだが、そういうのは専門書やその時代の音楽映画、あるいは振り返ったドキュメンタリーを観る方がいい。でも、ただしいとはかぎらない手垢のついた都市伝説みたいな話をしたくなる時もあって、そういうことは話こそすれど書くことはなかったんだけれど、友だちの文章*1がとても好きでその達人のような体捌きに感化されて書いたので、どうしようもなく恥ずかしくなったら消すかもしれないよ。