そのドアを開けたらゾンビがいる

わかっているんだけどねぇ〜☆

人間は料理する

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料理は積年の天敵だった。苦手意識のかたまりで可能な限り避けていた。「少々」ってなんだよ、俺とお前の「少々」にいつコンセンサスが取れたんだよ?ひとつまみ?手の大きさが違うだろうが、と心の中でイチャモンをつけるものだから、理系の料理本なんかには一定の興味はしめしたものの、それでもしっくりくることはなかった。

かつて料理に憧れたことはあった。本を読み、手際よく料理する様がなんともクールだったからだ。そして一番クールだと思ったペペロンチーノを見よう見まねで作りはじめた。ネットで情報収集をする以前のお話なので、おそらく本などで知識を得、あとはひたすら世界に浸った。毎晩のように深夜につくられるペペロンチーノは味の安定をみることもなく、大方のブームがそうなるようにいつのまにかやらなくなった。当時買ったなかなか良いパスタ鍋がどこにいったかすらもうわからない。料理に興味があったというよりは、本で読んだその光景に憧れた、というのがこの時は正しい。


一時期、料理と歩み寄ろうとしたこともあった。まずは身近で簡単なことからの方が身につくはずだと朝食用の卵料理に手を出した。そんなに昔のことではない。せいぜい4~5年前のことだ。ネットでレシピを調べながら例のふわとろみたいなオムレツを作ろうとした。その為にしっかりしたベーコンを買った。そのわりに付け合わせのサラダを作ろうという発想はなくコンビニで買ったもので済ませていた。とにかく一点集中なのだ。数回で飽きた。そもそもが初心者なのにスキルで差が出る料理を選んでいるのだから美味いものができるわけがない、飽きるのも当然だろう。


そうやって振り返ると現在は少し様子が違う。きっかけはたまたま食べたチョップドサラダの美味しさと食のドキュメンタリー映画だ。これによって、加工食品や弁当・ジャンクフードを食べず、野菜を買ってきて食べるということをやりだした。もちろん生で野菜をボリボリかじる訳にもいかないので簡単にでも調理することになる。その目的で一番はじめに選んだのが野菜のぎゅうぎゅう焼きなのも良かった。料理をする人からみたら笑ってしまうだろうが、シンプルで少ない調味料とオーブンで焼くだけという簡単な工程だが数回やるだけでただ野菜を切るにしてもやってみるとオーブンで焼く際に均等な焼き加減になるような切り方とかに気づかされていちいち感動するのだ。何故それをするのか?ということを体験で気づかされたのは大きい。レシピに書いてある些細なことにきちんと意味があることをひとつでも体感できれば、他のことにも意味があるはずだ、という確信に繋がる。お前は何わかりきったことをと思うだろうが、私はそういうことにすら気づいていなかったし、そういうことを知りたかったし、その知見の連なりの先に応用が見えてくるその景色に興奮したのだ。


そうやって野菜のぎゅうぎゅう焼きとチョップドサラダにはじまり今はスパイスカレーに手を染めています。切る・(オーブンで放置して)焼くの次の課程として炒める・煮るという方式を学んでいるわけです。


それがここ2ヶ月のできごとです。

面白かったドキュメンタリーやカレーを作っている時の楽しみなどを今はうまく説明できずにモヤモヤしていたので振り返ってみました。

 

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