Netflixで配信中のドラマ『デアデビル』、先日シーズン2の配信がスタートし、エピソード3まで観終わりました。今回はちょっとグッと来た、という鑑賞直後の感想です。
野球で言うとショートっぽい『デアデビル』というドラマ
まずは『デアデビル』ってどんなドラマ?というところをサラッと流します。
『アベンジャーズ』シリーズで有名なマーベルコミックスの1キャラクターを主人公にしたドラマシリーズです。過去に映画化もされていて、その時の主演はなんとベン・アフレックでした。今まさに『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』でバットマン役の、あのベン・アフレックです。少し前は『ゴーン・ガール』で顎を隠して散々な目にあっていましたね。
このドラマシリーズの企画を立ち上げたのは、最近では火星版ダッシュ村の異名でもお馴染みの『オデッセイ』の脚本も書いたドリュー・ゴダードという脚本家/監督。少し前にヒットした『キャビン』というメタ感覚満載のホラーで『アベンジャーズ』監督のジョス・ウェドンともタッグを組んでいます。
なんだかすごい名前がやんわりと周辺に漂っていますが、マーベルとしてもアベンジャーズなどが属する「マーベル・シネマティック・ユニバース」のドラマシリーズとして、Netflixとは初のドラマシリーズなので、それなりの気合いを感じます。
ストーリーは、事故で盲目となったことで超感覚を持った主人公が、昼は弁護士・夜はクライムファイターとしてニュー・ヨークのヘルズキッチンで悪と戦うというもの。
持ちうる能力が「超感覚」という、簡単に言うと失った視覚以外の感覚がむちゃくちゃ鋭い、というほどよく微妙なもので、強さ的にはホークアイ、ブラック・ウィドーよりは強いけどキャプテン・アメリカやスーツを着たアイアンマンにはかなわない、といった程度でしょうか(小学生的確認作業)。
戦う対象が「街にはびこる悪」なので、宇宙人が出て来ちゃうアベンジャーズシリーズほど大きな世界観・強い敵ではなく、もっと地元密着型で地に足の着いた(飛べないし)ヴィジランテ(自警団)スタイルのキャラクターです。その点はDCコミックのバットマンやアロー(グリーン・アロー)と近く、元デアデビルが新バットマンになっているのもちょっとオモロいな、と感じちゃいます。
地球を救う!というダイナミズムではなく、街にはびこる悪を倒すというミニマリズムは映画『ダークナイト』を中心にした少し前のヒーロー映画のトレンドだった無骨さを醸し出しますし、よりドラマとしての面白さに照準が良くも悪くも合うスタイルだと思います。
S2e3に観る『デアデビル』の覚悟
そんな『デアデビル』ですが、シーズン1でまず目を引いたのがエピソード2の長回しに代表されるアクションです。ネタバレはあまりしたくないのでストーリーについてなるべくふれずに行きたいと思っていますが、それでもいろいろ言ってしまうと思うので、まっさらな気持ちでドラマを観たい人はやはりこの先はあまり読まないことをオススメします。
主人公マット・マードックは弁護士として法の下で正義の為に活動する自身の活動や信念と葛藤しながら自警団として法を超えて暴力で正義を追求しようとします。ただし、主義として殺人は犯しません。なので銃も使わない。ボクサーだった亡き父親の面影を追うかのように己の身体を武器に(短い鉄の棒みたいなのも使うようになるけど)犯罪者たちと戦います。多勢に無勢な時もあるし、もちろん怪我も負いボロボロに傷つくし、まあかなり無茶なことをし続けます。街を救おうとする強い信念とそれでも限界がある傷ついた身体はいわゆる超人的な完璧さとは違うものですが、そのアンビバレント感が観ていてハラハラとするところで、それを一気にピークに持って行ったのが、シーズン1エピソード2の5分半にも及ぶアパートの狭い廊下での長回しのアクションシーンだったと思います*1。これも敵のアジトに単身丸腰で人質救出のため乗り込んでいくエピソード2のクライマックスなんですが、1時間モノのドラマで5分ノーカットのアクションシーンに使うなんてそうそう観ないのでやっぱり手に汗握るところはありつつも、厳密にはノーカットではないだろうみたいな邪推とか殺陣がちょっと技的な所に頼り過ぎじゃないかとか、アクションにかける意気込みをスゴいと思いつつも変な雑念を持ちながら観てしまったんです、私は。
結局その雑念みたいな感覚がシーズン通して残ってしまい、シーズン通して観るくらいオモロいんだけど、どこかちょっとスッキリしない感覚を『デアデビル』に持っていました。煮え切らないというかなんというか。
それがいざシーズン2が始まってみると、ちょっとなんか感覚が違う。なんというか、グッと引き締まった感じで、立ち上がりなのでストーリーがどこに向かうかまだ見えてこないんだけどシーズン1の時のようなモヤモヤ感がちょっと弱まってる。
それはなによりアクションシーンに顕著で、シーズン2エピソード1の冒頭のアクションシーンは、デアデビルの主戦場である夜の市街地での戦いを、映画『ダークナイト』シリーズに勝るとも劣らない魅力的な見せ方(見せな方)でガツッと印象的に新シーズンのオープニングを飾ります。だいたい一人対多数で戦うデアデビルは数的不利を克服するためにも、闇に紛れながら戦うわけです。ゲリラ殺法。
この予告編でもチラッとアクションシーンは映りますが、S2e1オープニングでのアクションシーンは、見えないんです、デアデビルが。闘争する強盗たちを警官が追いかけるも捕まえることが出来ないまま強盗たちは人質を取り教会*2に逃げこむことになるのですが、警官と並走するように強盗を追うデアデビルは、強盗たちがその姿を捉えられないのと同じように画面上でも、チラチラ映ってはいるんだけど、なかなか捕まえられない。このスタイルはそれこそバットマンなどでもよく見るスタイルですが、今回のデアデビルS2e1では見えてないデアデビルがかなりよく見える。シーズン1で追いかけてきたデアデビルの戦いを見せないことで脳内で再現させられている感じ。カッコいい。
シーズン1でもドラマのムードはダークでストイックなものでしたが、いかんせん殺陣がちょっと派手じゃないかなと感じていたんです。アフター・パルクールなアクションが過剰演出に感じちゃったんです。それがシーズン2ではグッと引き締まったストイックな殺陣になって、説得力が増している。
さらに登場人物に「パニッシャー」(演じるは『ウォーキング・デッド』のシェーン役でお馴染みジョン・バーンサル)が出て来て、エピソード1、2くらいまでは、これストーリーどうなるの!?とシーズン1でのモヤモヤがよぎってしまいます。
しかし、つづくエピソード3で、それを逆手に取ったかのようなストーリー展開をデアデビルとパニッシャーのやり取りで見せ、ダメ押しのクライマックスでまた来るんです、アクションシーンの長回しが。しかも、S1e2での長回しをもっともっとストイックにした、『オールド・ボーイ』なんかを彷彿とさせる殺伐としたアクションシーンが、またもマンションの廊下で約3分44秒の長回しで展開され、しかもそれだけでは終わらず、第2部といった趣で今度はカット割りで見せるアクションシーンが約1分40秒にわたって計6分もアクションシーンだけでエピソードのラストに向かいます。なんとこの間、銃声はナシ、殴る蹴る音とチェーンや金属バットの音なんかが響き渡ります。最後の方はデアデビルもさすがに足に来ていて、そんな感覚さえ映像で表現してきます。オレたちは戦いで見せていくぞ、オラ!みたいな宣言というか覚悟というか、そんなものを感じちゃいました。シビレた。しかも「え?なにそれ?」みたいなのを1シーン最後にカマしてエピソード3は終わります。何と良い繋ぎ!
『アベンジャーズ』以降、十分すぎるアメコミ映画/ドラマの本数に、1タイトルでどう光るかみたいなことを観る側ですら気にしてしまう中、ウィンター・ソルジャーでググッと盛り上がり、ウルトロンで大いに迷走し、アントマンでしっかり幅を拡げ、追随するDCエクステンディッド・ユニバースを尻目に、既に傑作との声もある『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』*3が待ちきれないマーベル・シネマティック・ユニバースですが、思わる伏兵が、というかちゃんと“思わぬ伏兵”に『デアデビル』がなってきていた、という喜びの声でした。
では、引き続き『デアデビル』シーズン2を鑑賞します。どうなっていくことやら。
*1:その中心部はNetflixのYouTubeアカウントでも見れます。ネタバレ気にしない方はどうぞ
*2:デアデビルではカトリックや教会は大きな要素となっている模様