先日、いつも楽しく読んでいるブログ「頭ん中」でこんなエントリーを読みました。
こういうアクションは本当に素晴らしいなぁ、と思います。
ボクも元来人見知りで、人前で話たりすることは極力避けて通れるに越したことがない、と思っているタイプなのに加え、これと言った特技なり技術なりを持ち合わせていないため、技術系の方々の発表会のような類のイベントは、ただただスゴいなぁ、と傍観するばかりでした。
ちょっと、話は変わりますが、ボクはたまたま音楽が好きでバンドをやったりDJをやったりしたくなって、ひとりで楽器を練習し、DJを練習しました。
でもやっぱりやりたいのは練習ではなくてバンドだったりDJだったりするので、なんとか機会を探してライブをやったりDJイベントをやったり出たりする機会に恵まれました。
それは、人前でやりたい!というのではなく、もともと「やる人と聴く人がセットになっている行為」だったので、人前でやることで何かを得ようみたいなことまで頭が働かなかったんですが、実際に人前でやらせてもらうと、これはとても意味がある。
練習は、もちろんひとりでやっていますから、自己完結の世界です。ボクがボクのためにやる作業で、一番楽しいのはボクだし楽しませるのもボクです。当たり前ですが。
その自分ひとりの世界としての練習から、人々が集まってそれぞれの役割を果たしながら成立している空間としてのライブやパーティーの一部になる、という感覚がボクにとってはとても新鮮で、「では、そこでこのDJブースにたまたま立っているボクは何をすべきだろうか?」「この癖のあるボーカルが作ったバンドにリードギターとして誘われたボクはステージで何をすべきだろうか?」という、構成物として自分の存在を見れたことがプレイスタイルや練習内容や、そもそもの音楽の趣味の傾向にまで、かなりの影響を及ぼしたと思っています。
こういう経験ができたことは、本当にまわりにいた仲間や環境にとても感謝しているのですが、やはり気軽にやろうと思ってできることではない。
『関西アンカンファレンス』という取り組みは、きっと、みんなが発表者で、みんなが聴講者で、一度にいろんな経験をできちゃう取り組みなんじゃないかな、という気がしています。
そういう意味ではアマチュアバンドやDJで集まってやるイベントにノリが近いのかもしれない。とにかく楽しもうよ、という。
そして、この『関西アンカンファレンス』のことを、最近読了した『ナガオカケンメイの考え』を読んでいるときに思い出したので、その思い出したきっかけの部分を引用します。
僕は原稿を、いっさい壇上に持ち込まないので、なおのこと、日ごろから思っていることの、その思いの強さが内容に自然と出る。原稿を書かなくても、どんなにあがってしまっても、しゃべれる方法は、本当にそのことに執着すること。
人の前で話すということは、それなりの意味があります。(『ナガオカケンメイの考え』P36より引用)
「しゃべること」に気をとられず、ポンとその場所にたったら、自分でも思いもかけぬ自分のこだわりに気づくかもしれません。
参加を迷っている方は、うっかり申し込んでみては?と思ったけど、もう定員に達してるみたい。スゴいです。
関西アンカンファレンスの参加受付を開始しましたよ - 頭ん中