そのドアを開けたらゾンビがいる

わかっているんだけどねぇ〜☆

イベントについてボクが思うこと

 

WISH2011に隠れスタッフとして参加して感じて思うこと #wish2011 - Ya-ko's Voices

このエントリーをとても興味深く拝読しました。

残念ながらボクはWISHに参加したことはありません。(仕事の都合とかで未遂に終わった経験アリ)

なので、WISH2011がどのようなイベントだったのかはいろいろな人がまとめているようでそれを読むことで楽しんでいます。

ちょっと他所で「イベントについて」というテーマで考えていたことを「まとめなよ」と言っていただけたので、まとめてみます。

これはボクがDJとしてDJイベントをやった経験、出た経験、遊びに行った経験などから感じてきたもので、今回のWISH2011に直接関係するものではありません。

前出のエントリーを読んで、イベントというものへの視点に、僭越ながらとても共感のようなものを感じて、つらつらと思ったことで、誰か・どこかに対する批判とかそういうのじゃないので、ゆるーい気持ちでご覧いただければ、と思います。

 


 

イベントと内輪感は自分が主催側だったDJパーティーの頃から感じていて、どうにかならんもんかと試行錯誤してきたつもりで、10年くらい経った結論は「内輪を広げる努力」じゃないのかな、と思っています。

 

イベントに出るときは、それがどんな趣旨でも自分の中のそのスタンスを守って振舞ってるつもりですが、泥酔しちゃうけど、そういうのがベースにあります。もてなし、というのと時間を拘束も昔からスゴく重要なポイントだと思っていて、時間の拘束は特にトッププライオリティーでした。(単にボクが時間を拘束されるのを極端に嫌う、というのもあります)

 

イベントをやるのにはスゴく体力がいるとおもうので、その中心的メンツに馴染みの顔がたくさん集まるのは普通だと思うし、よほどイベント慣れしてる場合じゃない限りはその方が比較的うまくいくと思っています。

 

そのメンバーが仲良しメンバーだったとして、常に内輪感が出るか、と言ったらそうじゃないと思います。内輪感の指摘は大抵の場合、寂しかった人からされるものだと、個人的に思っています。時間を拘束された割りにぼっち感を強く感じたら、そりゃー眼の前の仲良しメンバーに拒否反応を示すよね。あたりまえだと思います。ボクでもきっとそう思う。そう思わない空間を作れればな、と思います、本当に。

 

でもやってる側も人間だから、仲良いメンバーがいたら自然とそっちと話しがちになると思います。初対面の人と10年来の仲間みたいに振舞えっていうのは、それはそれで無理な話ですよね。

 

そもそもイベントやるキッカケがなんなのか、という所がポイントなるんだと思いますが、ボクは自分の思ってる楽しいをいろんな人とシェア出来たら嬉しい、というのがイベントやったり出たりのキッカケになるので、すでにシェアできると自分が実感した相手に対してはケアしないことが多いかも知れないです。(呼んでおいてそれはそれで大変失礼な話ですが、その人の「楽しみ力」みたいなものを信用していると思ってもらえるとありがたい。)

 

そういう意味では、イベントとBlogはとても似ていると勝手に思っているのですが、相手がどう捉えるかわからない、というのも無視できない大切な部分だと思います。いきなり超仲良し!というよりは、初めましてから徐々に距離を縮めていくようなやり方が出来たらいいなーって思っています。距離が縮まるのを待つまでもなく泥酔するけど。

 

たとえば、すごくアウェイだなーと思うイベントに呼ばれたとして、そういう時はとてもおとなしくしてることが多いです(DJプレイは別)。あたりまえだけど、ボクは外部の人間だし、中のノリはわからないから観察するしかない。

 

そういう時にスタッフ・お客さん問わず「このイベントはこういうイベントなんだよー」「超内輪ノリだから退屈してない?」(これは気遣う意味での退屈じゃない?ですね)って声をかけてくる人が3人以上いるイベントは良いイベントという定義を、ボクは自分の中に持っています。そのイベントを大切に思っている人がそれを共有したい!と思えるようなイベントってステキですよね。

 

逆に、常連さんとかが主催者に挨拶に行っちゃうようなイベントは、良い悪いは別にして、ボクはもう行かなくても良いかな、って思っています。これは単に趣向の問題です。

  

ボクは、自分の出るイベントに初対面の人呼ぶの好きです。

自分のことは人見知りだし、非コミュ側だと思ってるけれど、それでもそういうことが好きです。

 

「選民意識」というのも気になった言葉だけど、誰だって付き合う人とか話す人とか選ぶと思うんです。イベント時にそれを表に見えないように振る舞うことは大切だと思うけど、それでも相手を選ぶ、というのは誰でも自然とやってしまうことではないでしょうか。良い悪いはもちろん別です。

 

ボクは、自分が呼んだそれぞれ知らない人同士が、その後友だちになってるのとかを観ると、そういうのが一番嬉しい。自分が何やったかなんて時間が経てば忘れるけど、友達関係が始まったら、そこからはいろんなモノが生まれる。

 

そうすると、外輪(?)だった人たちが「イベントをキッカケに友だちになった」というほんの些細な出来事でイベントに対して「内輪感」を感じてくれるかも知れない。

 

ボクはそうやって広げることに興味があります。そこで発表される内容、流される音楽は、良いものであればきちんと記憶に残るだろうし、そういう新しいネットワークの上に乗ってひろがると信じています。

 

ひとつだけ、ボクが自分でイベントを主催している時、というケースにかぎって言うと、イベントが温かいうちは(続いているとか開催後)絶対に主催者はイベントについて言葉で説明しようとしない、というルールをつくっていました。

 

理由は、楽しかったら「次おいでよ!」で終わると思っているから。

 

それ以外の言葉は往々にして言い訳しかでてこない、と自分の経験上感じています。

 


 

authers
DJプレイに失敗して青ざめた仲間を気遣う著者(写真:右)