映画の解説を聴くのがわりと好きで、特に町山智浩氏のモノは有償無償問わずよく聴いています。
映画批評・解説の音声ファイルを有償配信している「映画その他ムダ話」は特に好きでよく買って聴いているのですが、その中でもゴダールの『勝手にしやがれ』を取り上げた前後編2回は本当にスゴかった。。。
『勝手にしやがれ』自体は高校の頃くらいに映画好きの洗礼として鑑賞して以来、わりと何度も観ていますが、その割に他の映画に比べるとどっぷりとハマることもなく、また解説のようなものを読んだりしたこともありません。
モチロン映画はカッコ良かったし、ポストカード買って飾ったりしちゃってたし、そのオモロさを掘り下げたりすることも特に思いつかず(個人的には『軽蔑』とか『アルファヴィル』の方が好きですが)、なによりその名作然とした扱いに「あぁ、そういうものだんだ」と素直に受け入れて来たわけです。
今回、町山さんの解説を聴いて、レザボアドッグスでいうところの『ライク・ア・ヴァージン』ではないですが、2回目の誕生というか、「そういう角度から観たらこんなに違うオモロさがあるのか!」というプロ解説の醍醐味を強烈に感じました。
いやいや、これ、タランティーノと同じだから!『トゥルー・ロマンス』だから!映画と現実の区別がつかない秘宝系ボンクラの純情物語だから!
フックとしてタランティーノの名前が出て来た時点でこれはヤバイとファンなら嬉しいところ。『勝手にしやがれ』のミシェル・ポワカールがいかにクラレンス(『トゥルー・ロマンス』)であるかを熱く語ってくれます。クラレンスは映画好き(タランティーノの自己投影)で劇中の行動規範がことごとく映画やその他の好きなもので決まって行きますが、ミシェルもいやいやどうしてやってくれてるんです。なんでパトリシアを選んでるのか?盗んでる車の共通点、そもそも何を求めて逃避行していたのか?ボンクラ視点での解説のオモロいこと、オモロいこと。
でも、それすら要素の一つでしかなく、この映画が出て来た時代背景や受けた影響・与えた影響なども「秘宝系」な興味をソソる内容で話してくれています。
話の中で出て来た名前にはオリバー・ストーンやポール・ヴァーホーヴェン、ジャッキー・チェンに石原慎太郎、ラス・メイヤーと何をどう繋げたら『勝手にしやがれ』サークルにこういう名前があがってくるんだろう?と到底結びつかない面々がスルリとつながっていく様も見事でした。まさか『勝手にしやがれ』の解説で『ロボコップ』のスゴさの話が出るとは!
また、当時の映画の技術的な部分、特に編集でのスゴさ(新しさ)とそれが後に与えたであろう影響みたいな部分も、後追いで知って観ていてそれが当たり前だと思っているようなボクにとって、事前事後の差も含めて説明してくれてるので、そうかそれがなかったらあれもなかったかもしれないんだ!と素直に感心してしまった。当たり前だったことをひっくり返してしまうっていつの時代も痛快なところありますよね。
映画自体を初めて観てから約20年くらいそんなこと全然意識しなくても十分オモロいと思っていたのに、まず解説自体がオモロくて(前後編で約2時間半という映画並みの長さ!)、さらにそれを踏まえて観る『勝手にしやがれ』がまたさらにオモロくて、なんというかとても嬉しくなった。
映画を観る時には、解説などがなくても理解できて成立するに越したことはないしオモロさは映画内で十分完結しているとは思うのですが、映画にかぎらずリアルタイムで無い場合、自分で体験したわけではないからわからないその時代や文化をふくめた背景・空気感みたいなモノを知ると知らないとでは大分見え方が変わるというのはやはり大きな要素になります。
個人的にはそういうのを知ることって、乾燥した土に水をかけるみたいな気持ちよさを感じてしまうのでこういう解説はとてもありがたい。なによりその話している(町山さんの)テンションが、あぁこの人ホント映画好きなんだなぁ!ってこちらもニヤニヤしてしまう感じで、そういうのは本題である映画と同様に楽しまれるべきモノなんじゃないかなって思います。
この『勝手にしやがれ』の解説っておそらく物凄い数あるでしょうし、今回の解説もそのうちの一つであることに間違いないのですが、相性の合う美容師さんを見つけた時の安心感みたいに、町山版『勝手にしやがれ』入門はとても響くものがありました。
イチ娯楽としても、知識の泉としても、映画解説って良いジャンルだなぁ。
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