そのドアを開けたらゾンビがいる

わかっているんだけどねぇ〜☆

やってみたら気づいたこと

去年の夏の初めから「料理」をはじめた。この一年で作った料理の種類はそれほど多くはないけれど一年前と比べたら「料理する為の脳」はかなり鍛えられたと思う。

それこそはじめは、全てが完璧に用意されていてその全てを完璧に組み立てられないとテンパっていた。言うなればプラモデルを説明書を読みながら作っているようなもので、ひとつでも部品が足りないと「捨てだ!捨て!(ハライチ岩井)」と心半ば折れていた。目分量とか冷蔵庫にあるものでとかアレンジ料理なんてのはもってのほかで、完成に至るまでに不確定要素が出れば出るほどテンパっていく。はじめて車の運転をした時のことを想像してもらえれば少しは伝わるだろうか。

そう考えると車の運転と料理は似ている。偉そうに言うけれど私はゴールデンペーパードライバーです。一応路上にも出た経験だけはあるけれどその情報量の多さにイラッとしたのもあって機会を逃したまま一切運転を諦めました。その時に感じたのも「不確定要素の多さ」で、同じ道路でも自分以外の要素による変化が多すぎる。慣れれば肩の力が抜けていくのだろうが、それこそ仮免の路上研修なんかでは(状況によって変わるから仕方ないと今では理解していますが)教官によって言うことが変わったのでケンカしちゃったりした。

それと同じようなことを料理の初期に感じて、特に料理を出来る人に手伝ってもらったりすると、免許取り立ての人が助手席の人とケンカしちゃうような事例と似たようなことが起きていた。

それくらい経験値が足りなかったけど、今回はちょうどカレー作りにハマりだして楽しくなって「もうヤメだ!ヤメ!」にならずに続いた。

はじめに野菜を切ってオーブンで焼くだけ(ぎゅうぎゅう焼き)とか、野菜を切って盛り付けるだけ(チョップドサラダ)なんかをひたすら作り続けた時の、色々な野菜を切るとか、切った野菜の火の通り方の違いとかが、次のステップであるカレー作りの時に突然「あぁ!そういう理由があったのか!?」気づきに繋がってから楽しさは加速した。もちろんこんなことは料理する人や勘のいい人なら「今更!?」ってことなんだと思うけれど、私は相当鈍いので体感出来るまでに時間がかかる。

なので、レシピにない材料を使ったり代用したり、はたまた開封した材料を使い切ることを考えたりするのにも相当時間がかかっている。各材料を使い切れる最大公約数で作るとか、余るもので付け合わせを作るとか、そんなの達人の技だと思ってだけれど、最近少しずつではあるがそういうことも出来るようになってきたと思う。共同作業をするにあたっての余裕みたいなものも以前に比べればだいぶんマシになってきた(と思いたい)。

食べたいと思うもの、作りたいと思うものを黙々と作ってきただけなので効率的かどうかはわからないけれど、やってきた分だけの手応えはあるし、レシピがちがちに縛られずに一品作れた時の感動はたまらない。

そして不確定要素を状況に応じてどうやったら想定しているゴールに近づけられるかという無理ゲーのような料理から学ぶことはまたまだありそうだし、外で食べる料理や人に作ってもらう料理や料理できる人に対するリスペクトは増すばかりだ。

2年目の目標は、味の安定、ある材料での2品(一汁一菜)あたりです。

 

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