そのドアを開けたらゾンビがいる

わかっているんだけどねぇ〜☆

もうライトニングケーブルが断線することで涙することはないのだ。

ここまで来るともはやある種の宗教的苦悩のひとつと言ってもいいかもしれないレベルでライトニングケーブルは断線する。

11月、買ったばかりのライトニングケーブルは1週間もせずに断線した。あまりのはやさに怒りとかそういうものになる以前の感情が芽生えたと同時に空気中に紛れていった。それはちょっと良いやつだった。見た目、昔ながらのこたつの電源ケーブルのような高耐久ナイロンで、折り曲げるのにも強いという触れ込み。もちろん、こんどこそさようなら断線、という気持ちで毎回ライトニングケーブルは買っているし、今回のそのルックスには心躍った。それでも、だ。

コーエン兄弟の『シリアスマン』に漂う空気とおなじようにライトニングケーブルと私の間には、諦めこそあれど歓喜の瞬間は皆無だ。なぜライトニングケーブルはこうも無慈悲に断線するのか、それも神のみ心なのかもしれないしそうじゃないかもしれない、と受け入れるしか無い。あるいはマチュー・カソヴィッツ監督の『憎しみ』で冒頭で語られたビルの50階から飛び降りた男のエピソードよろしく「まだ、だいじょうぶ」と言い続けるその「まだ、だいじょうぶ」と同じ座りの悪さとも言えるかもしれない。使い始めたが最後、「いつか断線する」と「断線した」の間の束の間の忘却に身を任せるしかない、ライトニングケーブルという言葉の本当の意味はそのあたりのことだろう。あるいはライトニングケーブルというのはその断線こそが本質で、我々が対価を支払って得るものはそこにいたるまでのストーリーではないのか、とすら思う。つまるところ、よう切れる。

 

では、どうしてその自明の理であるライトニングケーブルの断線についてウダウダと話しているかというと、12月頭に買ったライトニングケーブルがまだ切れていないのだ。

1週間もせずに断線したライトニングケーブルを片手に、どうせなら切れないことにとことん特化したやつを買ってこの話は終わりにしてやろうじゃないか!と燻りながらiPhoneで注文したライトニングケーブルに書かれていた言葉は「防弾仕様の高耐久ケブラー繊維」。かすれた声で「I'm Batman.」とついつぶやきたくなるザラつきがある。そうなれば色はモチロン黒だ。とどいたケーブルを見れば納得するが、その質感、これはまさにバット・ケーブル*1だ。よろしいアルフレッド、もう1本注文だ。

はじめに買ったバット・ケーブルは、ベッドサイドで使いたい長めの1.8m。なんとか枕元に届かせたい想いが溢れた。そのタフな質感に、外出時にも使い始めた。モチロン長いので邪魔だ。ぐるっと丸めて強引に持ち運んでいたがそれでも断線はしなかった。そもそもが普通のライトニングケーブルよりも太めでしっかりとしているから、丸めてカバンに放り込んでおいても心配いらないどころかしっかり主張してくる。それならばと2本目に0.3mのものを買った。エネループと繋いでも手のひらで収まるようなそんなサイズ感だ。Ken Ishiiのファーストを思い出してもらえればそれでいい。この2本で計2,700円程度だ。

 

それが出来心からAmazonを覗いたら6本セットで…

諸君の健闘を祈る。

シリアスマン(字幕版)

シリアスマン(字幕版)

  • Joel Coen & Ethan Coen
  • ドラマ
  • ¥1000

*1:バットケイブとかけています。